どうなんでしょうね。

色々な意味で話題の映画「ゲド戦記」を観てきました。

最近の映画館は座席指定の所が出てきているようですが、私が観に行った映画館もチケット購入時に座席を選ばされました。
真ん中辺りの席を取ったのですが、これがいざ、上映が始まってみると、館内の真ん中辺りの座席に観客が密集して、周辺部はかなりのガラ空き状態…。
私が行ったのはふた昔程前の繁華街にある映画館なので、殆どの作品のロードショーで空席があるのはザラなのですが、ジブリの映画の上映開始2週間程でこれは…。


で、惨敗ムード満載の「ゲド戦記」ですが、観た感想としては「フツー」でした。
というか、「そんなボロクソに言われなアカン映画か!?」というのが正直なところ。


確かにストーリーは単調というか、メリハリが無いと思いましたが、ファンタジーとしてはオーソドックスなストーリーなので、解かりにくいとは思いませんでしたし…。
ただ、ストーリーというか、テーマを語る為の段取りを進めるのに精一杯で、親父様のように「余裕のある演出」というのが皆無だったので、そういう部分は退屈かも。私はストーリー的な段取り仕事がそんなに気にならない方なので…。
とはいえ、余りにもあんまりな段取り映画は苦痛なワケで、それが苦にならなかったという事はそこそこのレベルになっているのではないでしょうか。

取り合えず眠くもならず、2時間強の上映時間も苦にならなかったので、私的には面白かったと思いますよ?


不満としては、「世界の均衡が崩れつつある」というのが設定として根底にあり、それに影響されたかのように、王子アレンが心の闇によって父王殺す、という大きく分けて2つの題材があるにも関わらず、そのうち前者が余りにも簡単な解決なのではないか、と。
父王を殺したアレンはゲドやテルーと出会い、やがて自分に巣食う心の闇と向き合い、それを乗り越えるのですが、それは良いとして。
もう一方の、「世界の均衡(ことわり?)の崩壊」が、とある魔法使いの禁呪の影響であり*1、その魔法使いを倒す事によって「めでたしめでたし」では余りにも軽く、簡単ではあるまいか?
王子を初め、世界の人々の心を荒ませた原因になるものというのが、禁呪のみでは、今のこの時代に、このテーマで映画を作る意味が無いように思いました。
宮崎吾郎監督自身が、この作品世界に現代を投影していると言っているのですが、ならば尚更、「悪の魔法使いを倒して解決」ではなく、もっと根本的な部分に向き合って、完全ではないまでも、現段階での答えを出し切る所まで行ってほしかったと思いました*2

*1:パンフの情報

*2:どうせかなり原作改変してるのだろうから、自分なりのモノを、ね…